
【はじめに】
音楽フェスの“混雑”は、ただのストレスではない。それは、「自分が今、特別な場にいる」という実感を与えてくれる“快楽”でもある。不便さの中でこそ、人は「生きている」と感じる瞬間があるのだ。
【目次】
- 「なぜあえて“人混み”に向かうのか?」
- 移動も並ぶのも不便――でも、それがいい
- 実体験:身動き取れない中で感じた“高揚感”
- 混雑は“物語”を生む装置である
- 不便さの中で得られる「共感」と「連帯感」
- フェスは“非日常”という祝祭の場
1. なぜあえて“人混み”に向かうのか?

フェスに参加すると、どんなに天気が良くても、どんなに設備が整っていても、必ず「混雑」は発生する。
・ステージ間の移動での渋滞
・グッズ列に1時間
・トイレも10分待ち
・場所取りに密集
普通に考えれば「避けたい」状況だ。なのに、なぜ多くの人が、チケット代を払い、長距離移動してまでその空間に飛び込むのか。
2. 移動も並ぶのも不便――でも、それがいい

答えはシンプル。「その価値があるから」。
人混みに揉まれても、ステージにたどり着いたときの解放感。ようやく水を買えたときのありがたさ。日常では感じない“小さな達成感”が、フェスの不便の中には詰まっている。
並ぶことも、座れないことも、“参加している実感”を高める一部になっているのだ。
3. 実体験:身動き取れない中で感じた“高揚感”

ある夏フェス。人気アーティストのステージが始まる直前、人の波が一気に押し寄せてきた。立ち位置を変える余裕もなく、息苦しいほどの密集。
でもその瞬間、全員が同じ方向を見て、同じ期待を抱いていた。
曲が始まった瞬間、押し合いが歓声に変わり、隣の人とハイタッチした。知らない人と笑い合う、そんな時間が、不便さの中で生まれる。
4. 混雑は“物語”を生む装置である

「トイレで30分並んでたら隣の人と仲良くなった」
「ステージ移動で転びそうになって支えてくれた人がいた」
「グッズ列で熱中症になりかけて、知らない人が水をくれた」
こういった小さな“物語”は、混雑という「不便」がなければ生まれない。
それは、ただ観客として音楽を聞くだけでは得られない、「体験」として心に残る。
5. 不便さの中で得られる「共感」と「連帯感」

フェスでは、“共感”がいたるところで生まれる。
・暑さに耐える
・同じアーティストを待つ
・場所取りの苦労を共有する
不便な状況だからこそ、他人の存在がありがたくなる。「知らない人と同じ苦労を乗り越えてる」――この共感と連帯感が、フェスを単なる音楽イベント以上の“コミュニティ”にしている。
6. フェスは“非日常”という祝祭の場

人が混雑を好むのは、決して“合理的”な行動ではない。
でもそれが、日常のルールから一時的に解放される「祝祭」である証拠なのだ。
そこには、「効率」「快適」とは別の価値がある。
人と人が集まって、汗をかいて、思いを交わす――それが、音楽フェスという“非日常”の魅力なのだ。
【まとめ】
音楽フェスにおける“混雑”は、単なる不便ではなく、「生きている実感」をくれる体験。
人はそこに、共感、連帯、物語、そして忘れられない高揚感を見出している。
不便だからこそ、価値がある。“混雑”の中にこそ、フェスの真髄があるのだ
コメント