
【はじめに】
音楽フェスは、現代人にとっての「寺社参拝」のようなものだと思う。憧れのアーティストと「対面」するという意味では、まさに“聖地巡礼”。その場に身を置くことで、心が整い、日常に戻る力を得る。これは私自身がライブ参戦を続ける中で、何度も感じてきた感覚だ。
【目次】
- “推し”という神様に会いに行く
- 「遠征」は巡礼の旅と似ている
- 会場に流れる“特別な空気”
- 音楽という「祈り」への没入体験
- 終わったあとに残る“浄化感”
- フェスは現代の「心のよりどころ」
1. “推し”という神様に会いに行く

私が「フェス=参拝」に気づいたのは、ある夏フェスで、大好きなバンドのステージが始まった瞬間だった。会場全体がざわめき、名前を呼ぶ声、涙を浮かべて手を合わせる人――それはまるで“神に出会った”としか言いようがない空気だった。
推しのライブを見るという行為は、“生きてる神様に会いに行く”行動に近い。心から尊敬する存在を前に、自分を見つめ直す。それは神社の本殿で手を合わせるあの瞬間と、どこか重なっていた。
2. 「遠征」は巡礼の旅と似ている

フェスやライブ参戦のために、時には新幹線や飛行機で遠方へ。ホテルを取り、開場時間に合わせて移動する――これって、伊勢参りや出雲参拝に行く時と何が違うのか?とある時ふと気づいた。
私も何度か「ライブ遠征」をした経験があるが、現地に着いた時の高揚感や、周辺で同じTシャツを着て歩く人々との“仲間感”は、まさに「巡礼者」そのものだった。
3. 会場に流れる“特別な空気”

フェス会場には、日常と切り離された「非日常の空気」がある。服装も普段と違えば、言葉も変わる。自然と肩がぶつかっても笑顔でいられる。ここには暗黙のルールがあって、全員がそれを共有している。
この“共同体感”こそ、古来の祭りや参詣で人が感じていた「一体感」なのだと思う。音楽が流れ、手が挙がり、声が重なる――これは現代における儀式であり、祈りの時間かもしれない。
4. 音楽という「祈り」への没入体験

ライブ中、特にバラードが流れる時、自然と目を閉じる瞬間がある。声と音に身をゆだね、自分と向き合う時間。これは瞑想に近い感覚で、心が少しずつ整っていくのがわかる。
私自身、つらい時期にライブに救われた経験が何度もある。音楽という形をとってはいるが、実際は“祈り”に近い。その場に行かなければ得られなかった心の回復が、そこには確かにあった。
5. 終わったあとに残る“浄化感”

ライブが終わったあと、ただ疲れた…だけじゃない。不思議と気持ちがすっきりしている。まるで神社で「お祓い」を受けた後のような浄化感。
私の場合、ライブ後にその足でカフェに入り、手帳を開いてその日のライブの反省や感謝をつづり、日記として文章に残すのが恒例だった。ある意味、それは“写経”のような行為だったのかもしれない。
6. フェスは現代の「心のよりどころ」

私たちは忙しく、日常に追われて心が摩耗することが多い。そんな中で、フェスは「心を立て直す時間」になっている。
推しとつながる、自分と向き合う、仲間と一体になる――すべてが終わる頃には、ちょっと生きやすくなっている。
フェスとは、ただの娯楽ではない。
それは、現代人が“祈り”や“再生”を求めて訪れる、新しい形の「寺社参拝」なのだ。
【まとめ】

音楽フェスやライブ参戦は、現代人にとっての“聖地巡礼”。
推しという存在への敬意、心を整える空間、仲間と共有する一体感。
これは、寺社や祭りに通じる「心の回復」の儀式だと、私は実体験を通して確信している。
日常に疲れたら、ふと思い出してほしい。
あなたの“心の寺社”は、意外とすぐそこにあるかもしれない――音楽の中に。
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